カンボジア和平協定35年 国連PKOと日本の貢献、民主化と人権保障の現在

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この記事のポイント

1.1991年10月23日に締結されたカンボジア和平協定から35年。20年以上続いた戦乱の終結を目指し、国連の管理下で選挙、難民帰還、人権保障を進める国際的な枠組みが成立した。
2.1993年の国連監督下の選挙では約427万人が投票し、約36万人の難民・避難民が帰還。日本も自衛隊、警察官、文民選挙要員を派遣し、国連平和維持活動(PKO)に本格参加した。
3.2026年10月の国連人権理事会では、2027年の地方選挙と2028年の総選挙を前に、政治参加や表現の自由が改めて議題となった。和平協定が掲げた民主主義と人権保障を、35年後の現状と照合する。

平和の架け橋、アンコールの朝
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1991年10月23日、パリで成立した包括的和平協定

1991年10月23日、フランスの首都パリで、長期の内戦と外国軍の介入によって混乱が続いていたカンボジアの和平協定が締結された。フランスとインドネシアが共同議長を務めた国際会議には、カンボジアの紛争当事者と日本を含む関係各国が参加。停戦、外国軍の撤退、難民の帰還、自由で公正な選挙、人権保障を柱とする包括的な政治解決の枠組みが成立した。1993年には国連の監督下で憲法制定議会選挙が実施され、新憲法の制定と王制の復活につながった。

2026年10月23日、協定締結から35年を迎えた。和平会議の共同議長国だったフランスは同日、協定の原則がカンボジアの平和と国家再建の基礎となり、現在も基本的な権利と自由を尊重するための指針であるとの立場を表明した。協定の条文には、単に戦闘を停止するための措置だけでなく、世界人権宣言に基づく権利保障、複数政党制、独立した司法、自由で公正な選挙などが具体的に盛り込まれている。

2026年には、この歴史を改めて考える出来事もあった。10月2日、ジュネーブで開かれた国連人権理事会第63会期では、カンボジアの人権状況を担当する国連特別報告者の報告を受け、各国が政治参加や表現の自由について意見を表明した。日本政府も、2027年の地方選挙と2028年の総選挙を前に、市民や政治団体が自由に活動できる環境を確保するよう呼びかけている。

35周年を迎えたカンボジア和平協定は、戦争を終結させるための歴史的文書であると同時に、平和を取り戻した後の国家が、民主主義と人権をどのように保障するかを定めた文書でもある。締結時の目的と35年後の現状を比較することで、平和の実現と人権保障がどのような関係にあるのかを具体的に考えることができる。

ポル・ポト政権と長期内戦、和平が必要だった歴史的背景

カンボジアで戦乱が長期化した背景には、1970年のロン・ノル政権成立、その後の内戦、1975年に始まったポル・ポト派(クメール・ルージュ)による支配、1978年末からのベトナム軍の侵攻など、複数の政治的・軍事的な出来事がある。

1975年4月に首都プノンペンを制圧したポル・ポト派は「民主カンプチア」を樹立し、住民の強制移住、農村での強制労働、政治的な粛清などを実施した。1979年初めまでの約3年8か月間に、処刑、飢餓、疾病、過酷な労働などによって多数の人々が死亡した。犠牲者は約170万~200万人と推計されているが、死亡原因や人数については研究上の幅がある。

1978年末にはベトナム軍がカンボジアに侵攻し、翌1979年にポル・ポト政権が崩壊した。しかし、これによって戦闘が完全に終結したわけではない。ベトナムの支援を受けたプノンペンの政権と、タイ国境地帯などを拠点とする反政府勢力との間で戦闘が続いた。

1980年代には、カンボジア国内の対立に加え、ベトナム、ソ連、中国、アメリカなどの国際的な政治関係も和平交渉に影響を与えた。

和平に向けた交渉が進展する転機の一つとなったのが、1989年のベトナム軍撤退である。その後、カンボジアの各勢力と関係国による交渉が続き、1991年のパリ和平協定へと結びついた。

協定の締結に参加したカンボジアの主要勢力は、フン・セン氏が率いたプノンペン政府、ノロドム・シハヌーク氏らのFUNCINPEC、ソン・サン氏らのクメール人民民族解放戦線、ポル・ポト派の四派だった。過去に重大な人権侵害を行ったポル・ポト派も交渉の当事者に含まれていた点は、和平協定の歴史的な特徴である。

和平協定が定めた民主主義と人権保障

パリ和平協定は、一つの停戦文書だけで構成されていたわけではない。正式には、包括的な政治解決に関する協定、カンボジアの主権・独立・領土保全・中立・国家統一に関する協定、復旧・復興に関する宣言などが一体となっている。

中心となる「カンボジア紛争の包括的な政治的解決に関する協定」の第12条は、国民が自由で公正な選挙を通じて自らの政治的な将来を決定する権利を明記した。第13条では、国連カンボジア暫定機構(UNTAC)が選挙を組織し、実施する責任を負うことが定められた。

人権保障については、第15条が重要である。同条は、カンボジア国内のすべての人、難民、国内避難民が、世界人権宣言その他の関連する国際人権文書に定められた権利と自由を享有することを確認している。

同条はカンボジアに対して、人権を尊重し、その保障を推進する活動を支援するとともに、過去の政策や行為による人権侵害が繰り返されないよう実効的な措置を講じることを定めた。

附属書5には、新憲法に盛り込むべき原則が記載されている。そこには生命の権利、身体の自由、宗教・集会・結社の自由、法の下の平等、適正な司法手続き、人種や民族などによる差別の禁止が含まれる。複数政党制に基づく自由民主主義、定期的な選挙、独立した司法の設置も明記された。

つまり、和平協定は「戦争をやめる」という合意にとどまらず、戦争や政治的弾圧を繰り返さないため、国家の政治制度と人権保障を組み直す合意でもあった。

ただし、和平協定に人権保障が明記されていることと、その後の国内で個々の権利が十分に保障されることは別の問題である。条文の内容を実現するためには、憲法、法律、行政、裁判所、選挙制度などの国内機関が継続して機能する必要がある。

国連カンボジア暫定機構、2万人規模の活動を展開

1992年2月28日、国連安全保障理事会は決議第745号を採択し、国連カンボジア暫定機構(UNTAC)の設立を決定した。同年3月から本格的に活動を開始したUNTACは、軍事、行政、警察、選挙、人権、難民帰還など幅広い任務を担った。

UNTACは通常の停戦監視に加え、外交、防衛、治安、財政、通信など、行政の主要分野に対する監督権限を与えられていた。国連の活動としては大規模で、最盛期には100か国以上から2万1,000人を超える軍人・文民要員が参加した。

国連が行政の一部を監督したのは、紛争当事者が政府機関を利用して選挙に介入したり、特定の勢力を不当に有利にしたりすることを防ぎ、中立的な政治環境を整えるためだった。

ただし、すべての紛争当事者が協定を履行したわけではない。ポル・ポト派は武装解除への協力を拒み、選挙にも参加しなかった。投票への妨害や政治的暴力も発生している。

こうした制約が残る中でUNTACは活動を進め、1993年5月の選挙を実施した。国連は選挙全体を自由かつ公正だったと評価したが、武装勢力による妨害や一部地域の不安定な治安が解消されていたわけではない。

1993年9月には新憲法が公布され、立憲君主制のカンボジア王国が成立した。UNTACは同月、任務を終了している。

1993年の選挙、約427万人が投票

UNTACの活動の中でも、大きな成果の一つとして記録されているのが、1993年5月23~28日に行われた憲法制定議会選挙である。

選挙には20の政党が参加し、約470万人が有権者として登録された。実際の投票者数は426万7,192人で、登録有権者に対する投票率は89.56%だった。

国連の記録によると、FUNCINPECが約45.5%の得票を獲得して58議席、カンボジア人民党が約38.2%で51議席を獲得した。選挙後は連立政権が成立し、新憲法の制定が進められた。

この選挙で特徴的なのは、長年にわたる内戦の後、多くの国民が投票に参加したことである。

国連は選挙人登録、政党登録、投票所の運営、開票などを支援した。また、選挙に関する情報を伝えるため、有権者教育や広報活動も実施している。

和平協定の選挙に関する附属書には、障害のある人や文字を読めない人が秘密投票を行えるよう支援する規定も設けられていた。

選挙権の保障には、法律上、投票する資格を与えることだけでなく、実際に投票する機会を確保することも含まれる。選挙制度を十分に知らない人や、投票所へのアクセスに障壁がある人への対応は、国民が政治に参加する権利と直接関係する。

ただし、投票率が高かったことだけで、その後の民主主義が確立したと判断することはできない。選挙後も政党間の対立は続き、1997年には武力衝突を伴う政治的な危機が発生した。

和平を経て最初の選挙が実施されたことと、その後も自由な政治参加が継続的に保障されることは、区別して評価する必要がある。

約36万5,000人の難民帰還、生活再建も和平の一部

UNTACのもう一つの重要な任務が、戦乱によって故郷を離れた人々の帰還支援だった。

パリ和平協定第20条は、国外に逃れたカンボジア難民や避難民が、安全と尊厳を保障され、威嚇や強制を受けることなく帰還する権利を明記した。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が帰還事業を担い、1992年3月から1993年3月にかけて、約36万5,000人の難民・避難民が国連の支援によってカンボジアに帰還した。帰還者の大半はタイの難民キャンプに滞在していた人々だった。

難民の帰還には、移動手段を用意するだけでは解決できない問題があった。

帰還先には地雷や不発弾が残され、生活に必要な住宅、道路、水、医療、教育施設などが不足していた。帰還後に農業や仕事を再開できなければ、安定した生活を送ることは難しい。

和平協定も、難民の帰還と社会への再統合に必要な政治的、経済的、社会的な条件を整えることを定めている。

これは、難民が国境を越えて戻った人数だけでは、帰還事業の成果を十分に評価できないことを意味する。安全な住居や生計、教育、医療へのアクセスなど、帰還後の生活条件も必要となる。

この考え方は、2026年のカンボジアにも関係している。

2025年に激化したタイとの国境紛争によって住民の避難が発生し、2026年9月の国連特別報告者報告書は、なお1万8,000人を超えるカンボジアの民間人が避難生活を続けていると記録した。これは報告書がまとめられた時点の数値であり、10月23日現在の人数を示すものではない。

2026年10月13日には、カンボジアのルイ・ダヴィッド駐フランス大使が国際会議で、両国間の信頼回復には合意事項の履行と、避難民の安全かつ尊厳ある帰還が必要だと説明した。

1991年の和平協定による難民帰還と、2026年の国境紛争による避難は、原因も規模も異なる。しかし、戦闘の停止だけでは住民の生活を回復できず、安全な帰還と生活基盤の再建が必要になるという点では共通している。

日本のPKO参加、道路整備から選挙監視まで

カンボジア和平の歴史は、日本の国際平和協力政策とも深く関係している。

日本では1992年6月、国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(国際平和協力法、PKO協力法)が成立し、同年8月に施行された。

同法に基づく活動の初期の派遣先がカンボジアだった。自衛隊の施設部隊が国連PKOに参加した初期の大規模な事例として、日本の国際平和協力の歴史に残っている。

内閣府国際平和協力本部によると、カンボジアでは1992年9月から1993年9月まで、自衛隊の施設部隊が第1次600人、第2次600人の計1,200人派遣された。

主な任務は、内戦で荒廃した国道2号線と3号線の道路や橋の修理だった。その後、UNTACの他部門に対する給水、給油、給食、医療支援、物資の輸送なども担当した。

停戦監視要員としては自衛官計16人、文民警察要員として警察官75人が派遣された。

1993年5月の選挙には、国家公務員5人、地方公務員13人、民間人23人の計41人が選挙要員として参加している。日本の選挙要員は学校や寺院などに宿泊しながら投票と開票の監視に従事した。

こうした活動は、停戦を監視するという従来型のPKOに加え、選挙や行政、社会基盤の再建を支援する活動にも、日本が参加したことを示している。

ただし、日本の国際平和協力がカンボジアから始まったと一括りにするのは正確ではない。同じ1992年9月には、アンゴラにも選挙監視要員が派遣されている。カンボジアは、PKO協力法に基づく初期の派遣の中でも、自衛隊の部隊派遣を含む大規模な協力として特徴づけられる。

中田厚仁氏と高田晴行警視、活動中に失われた命

日本のカンボジア和平協力を振り返る際には、活動中に命を落とした日本人についても触れる必要がある。

1993年4月には、国連ボランティアとして選挙支援に参加していた中田厚仁氏が殺害された。同年5月4日には、UNTACの文民警察官として活動していた高田晴行警視が、武装グループによる襲撃で死亡した。

5月4日の襲撃では、同行していた日本人文民警察官4人も負傷している。

当時の宮澤喜一首相は5月12日の記者会見で、中田氏と高田警視の死に哀悼の意を示し、カンボジアにおける国際平和協力業務の安全確保について説明した。

両氏の慰霊碑は現在もカンボジアにあり、2024年7月には上川陽子外務大臣が献花した。2025年7月には長島昭久内閣総理大臣補佐官も慰霊碑を訪れている。

国際平和協力には、派遣された職員やボランティア自身の生命と安全を確保するという課題がある。

カンボジアでは和平協定が成立した後も、武装勢力による襲撃や地雷などの危険が残っていた。合意の成立によって直ちに治安が安定するとは限らず、国際機関の活動を支える安全対策が必要になる。

日本のPKO参加を検証する際には、派遣人数や活動実績だけでなく、現地の治安状況、派遣要員の安全確保、活動継続に関する判断を含めて考えることができる。

ポル・ポト政権の犯罪、和平とは別に進められた責任追及

1991年の和平協定では、将来の政治制度や人権保障が詳細に定められた。しかし、1975~1979年のポル・ポト政権下で起きた重大な犯罪について、和平協定そのものが刑事責任を確定したわけではない。

その後、国連とカンボジア政府の協力によって「カンボジア裁判所特別法廷(ECCC)」が設置された。

ECCCはカンボジアの国内裁判所の制度に国際的な協力を組み合わせた特別法廷であり、民主カンプチア時代に行われた重大な犯罪について、主要な責任者などを訴追する役割を担った。

裁判では、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪などが扱われた。

国際的な人権保障を考える際には、紛争を終結させるための政治的合意と、過去の重大な犯罪に対する刑事責任の追及は、異なる仕組みであることを理解する必要がある。

政治的な和平交渉では、戦闘の停止や当事者の合意形成が優先される場合がある。これに対して刑事司法では、個人の犯罪行為、責任の範囲、証拠、適正な手続きが問題となる。

ECCCでは2022年までに司法手続きが終了し、2023年1月から残余業務に移行している。

現在の主な業務には、判決の執行に関する監督、被害者や証人の保護、司法記録の保存、資料の公開、裁判の記録を通じた教育などが含まれる。

過去の犯罪を裁くことと、被害の歴史を次世代に伝えることも区別される。裁判によって刑事責任が確定しても、犠牲者や遺族が経験した被害のすべてを回復できるわけではない。

ECCCの記録保存や教育活動は、司法手続きが終了した後も、犯罪の事実や裁判の判断を確認できるようにする取組として続いている。

35年後も残る地雷問題、2026年に新政策

カンボジアの長期内戦は、戦闘が終わった後も住民の生活に影響を残している。その一つが地雷と不発弾である。

地雷が埋設された土地では、農業、住宅建設、学校や道路の整備などが制限される。住民が農地へ立ち入ったり、子どもが遊んだりする際にも危険が生じる。

地雷除去は、負傷や死亡を防ぐ人道的な活動であると同時に、地域住民が安全に暮らし、土地を利用できるようにする開発支援でもある。

2026年9月2日、カンボジア政府は「国家地雷対策政策2026~2035」を正式に発表した。

カンボジア地雷対策・被害者支援庁(CMAA)のリ・トゥッチ上級大臣兼第一副議長は、地雷対策を食料安全保障、農村開発、貧困削減、社会基盤整備などと結びつけて説明した。

同政策は、長年の地雷除去活動による成果を踏まえながら、残存する地雷や爆発性戦争残存物による被害を減らし、住民が安全に生活できる地域を広げることを目指す。

これは、1991年の和平協定と直接同一の制度ではない。ただし、和平協定が掲げた復旧・復興や難民の安全な帰還を、長期的に支える施策と捉えることができる。

住民が土地を利用できなければ、故郷へ戻っても生計を立てることが難しい。安全な住居や交通路が確保されなければ、学校や医療機関へ通うことにも障壁が生じる。

地雷対策は、生命と身体の安全だけでなく、教育や就労、地域で暮らすための条件とも関係している。

2026年の国連報告、政治参加と表現の自由に懸念

カンボジアの人権状況については、2026年9月25日付の国連特別報告者報告書が現状を整理している。

報告書を作成したのは、同年にカンボジア担当の国連人権特別報告者に就任したトーマス・アンドルーズ氏である。

アンドルーズ氏は7月20~31日にカンボジアを訪問し、政府関係者、野党関係者、人権活動家、報道関係者、市民社会組織、国境紛争の影響を受けた住民などと面会した。

報告書は、カンボジアが主要な国際人権条約の多くを批准し、国連の人権審査にも協力していることを評価した。貧困や子どもの死亡率の低下、教育、電力、水道、衛生環境へのアクセス改善など、社会経済面の進展にも言及している。

これに対し、市民活動や政治参加に関する状況については、強い懸念を示した。

特別報告者は、表現の自由などの基本的権利を行使したことを理由に拘禁されている可能性がある人が100人以上に上ると推定した。刑法の規定が政治活動家や報道関係者などに適用され、政治的な競争や市民活動が制限されていると指摘している。

ただし、100人以上という数字は、特別報告者による調査段階の推計であり、個々の事案について裁判所が違法な拘禁と確定した人数ではない。

報告書は、2027年の地方選挙と2028年の総選挙について、野党関係者の拘禁や政治活動への制限が続けば、自由で公正な選挙の条件が損なわれるおそれがあると説明した。

一方、カンボジア政府は国連との協力を継続する立場を示している。

2026年8月7日、カンボジア外務国際協力省は、特別報告者による初の公式訪問について、拘禁施設や避難民の滞在地域への立ち入り、政府関係者や市民社会との面会を認めたことなどを説明した。

特別報告者の報告書自身も、政府が拘禁施設への立ち入りを認め、政府幹部との率直な対話が行われたことを肯定的に評価している。

国連の調査への協力が行われていることと、報告書が指摘する個々の人権上の問題が解消されていることは、区別する必要がある。

日本政府も2027年・2028年の選挙に言及

2026年10月2日の国連人権理事会では、日本政府もカンボジアの政治参加と人権保障について発言した。

在ジュネーブ国際機関日本政府代表部の長瀬健介公使は、カンボジア政府が国連特別報告者の訪問に協力したことや、オンライン詐欺、人身取引への対策を進めていることを評価した。

そのうえで、特別報告者の報告書が指摘する市民活動と政治活動への制限に懸念を示し、2027年の地方選挙と2028年の総選挙に向け、表現、平和的集会、結社の自由を保障するよう呼びかけた。

10月5日の国連人権理事会一般討論でも、日本政府の遠藤聡参事官は、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)による技術支援を評価しながら、政治的・市民的な活動の自由を広げるようカンボジア政府に促した。

ここでいう「市民社会の活動空間(シビック・スペース)」とは、市民が意見を表明し、団体をつくり、集会を開催し、行政の政策を批判したり、改善を提案したりできる環境を指す。

選挙が定期的に実施されていても、野党が十分に活動できず、報道機関が自由に政策を検証できない状況では、有権者が選択肢を比較する機会が限られる。

1991年の和平協定が掲げた「自由で公正な選挙」は、投票日だけに関する原則ではない。政党の結成や選挙活動、報道、集会、政治的な意見表明など、選挙までの過程にも関係している。

35年後のカンボジアでこれらの権利がどのように保障されているかは、和平協定の理念と現行制度を比較する際の具体的な論点となる。

経済発展と政治的自由を分けて評価する必要性

カンボジアは、戦乱が続いた時代と比べて経済・社会基盤の整備が進んだ。教育や保健医療、生活インフラの拡充も国際機関から評価されている。

2026年10月2日の国連人権理事会では、イギリス政府もカンボジアの教育と貧困削減の進展を認め、2029年に後発開発途上国から円滑に卒業するという同国の目標を支持する立場を示した。

その一方で、政治参加の制限や報道の自由への懸念も表明している。

フランス外務省も2026年6月更新の対カンボジア関係資料で、2018年と2023年の選挙が信頼できる野党の不在の下で実施されたことに遺憾の意を示し、野党や報道機関、市民社会が自由に活動できる環境への復帰を呼びかけている。

この評価は、経済発展と人権保障を対立するものとして扱う必要があるという意味ではない。

道路や学校、病院が整備されることは、市民の生活条件を改善する。生命や健康、教育を受ける権利の保障に直接関係する。

同時に、政治参加や表現の自由には、それとは異なる役割がある。市民が行政の判断を検証し、政策に意見を述べ、選挙で代表者を選ぶことは、政治的な意思決定への参加を保障する仕組みである。

国際人権規約も、市民的・政治的権利を扱う自由権規約と、経済的・社会的・文化的権利を扱う社会権規約の双方によって構成されている。

経済や社会保障の改善が確認できることと、政治的な自由が十分に保障されていることは同じではない。反対に、政治的な自由が保障されていても、教育や医療へのアクセスが著しく不足していれば、市民の権利が十分に実現しているとはいえない。

和平協定が人権保障と国家再建の双方を定めたことには、こうした二つの領域を併せて扱うという特徴があった。

35周年から考える、平和を維持するための制度

1991年のパリ和平協定から35年を振り返ると、国際社会の協力によって具体的な成果が生まれたことを確認できる。

1992年にはUNTACが活動を開始し、約36万5,000人の難民・避難民の帰還が支援された。1993年には約427万人が投票し、立憲君主制と複数政党制を定める新憲法が制定された。日本も自衛隊、警察官、文民選挙要員を派遣し、国連の平和維持活動に参加した。

しかし、和平協定は、その後に国内で発生するすべての政治対立や人権侵害を防ぐものではなかった。ポル・ポト派の武装解除は実現せず、1993年の選挙後も政治的対立が続いた。

歴史を検証する際には、和平協定が達成した成果と、協定だけでは解決できなかった問題を区別する必要がある。

現在のカンボジアでは、地雷除去や地域開発、過去の重大な犯罪に関する記録の保存など、戦乱の影響に対応する活動が続いている。同時に、2027年の地方選挙と2028年の総選挙に向けて、政治参加や表現の自由をどのように確保するかも課題となっている。

2026年10月23日の35周年に際して、和平協定の共同議長国フランスが人権と基本的自由の尊重を改めて確認したことは、協定の内容が単なる歴史的な停戦条件にとどまらないことを示している。

カンボジア政府は、国連人権特別報告者との対話やOHCHRとの協力を継続する立場を示しており、日本も国連の枠組みを通じて人権保障と民主的な政治参加の促進を支援する考えを表明している。

1991年の和平協定に書き込まれた自由で公正な選挙、独立した司法、難民の安全な帰還、基本的人権の保障。これらの原則が35年後のカンボジアでどのように実現されているかは、2027年と2028年の選挙、市民社会の活動環境、国連との協力、戦争被害からの復興などを通じて具体的に確かめることができる。

出典

外務省「カンボジア和平に関するパリ和平協定締結30周年について(外務報道官談話)」(2021年10月23日) URL:https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/page1_001060.html

国連条約集「Agreement on a comprehensive political settlement of the Cambodia conflict」(1991年10月23日) URL:https://treaties.un.org/Pages/showDetails.aspx?objid=08000002800bb744

エディンバラ大学・PA-X Peace Agreements Database「Agreement on a Comprehensive Political Settlement of the Cambodia Conflict」(協定原文、条文別分析) URL:https://www.peaceagreements.org/agreements/252/

国連平和維持活動局「United Nations Transitional Authority in Cambodia(UNTAC)」 URL:https://peacekeeping.un.org/sites/default/files/past/untac.htm

国連平和維持活動局「UNTAC Background」 URL:https://peacekeeping.un.org/sites/default/files/past/untacbackgr2.html

内閣府国際平和協力本部事務局「カンボジア国際平和協力業務(1992~1993年)」 URL:https://www.cao.go.jp/pko/pko_j/result/cambo/cambo02.html

内閣府国際平和協力本部事務局「国際平和協力活動の年表」 URL:https://www.cao.go.jp/pko/pko_j/result/years.html

外務省「上川外務大臣のカンボジアにおける慰霊碑への献花」(2024年7月6日) URL:https://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sea1/kh/pageit_000001_00794.html

外務省「長島内閣総理大臣補佐官のカンボジア王国訪問」(2025年7月2日) URL:https://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sea1/kh/pageit_000001_02112.html

カンボジア裁判所特別法廷(ECCC)「Legal Framework」 URL:https://www.eccc.gov.kh/en/about/legal-framework

カンボジア地雷対策・被害者支援庁(CMAA)「National Mine Action Policy 2026–2035」(2026年9月) URL:https://cmaa.gov.kh/public/index.php/en/news/meeting-with-steven-pang-ambassador-of-cambodia

国連人権理事会「Situation of human rights in Cambodia:Report of the Special Rapporteur Thomas H. Andrews」(A/HRC/63/79、2026年9月25日) URL:https://www.ecoi.net/en/file/local/2145377/a-hrc-63-79-auv.pdf

在ジュネーブ国際機関日本政府代表部「長瀬健介公使、国連人権理事会におけるカンボジア特別報告者との対話」(2026年10月2日) URL:https://www.geneve-mission.emb-japan.go.jp/itprtop_en/statements_rights_20261002_2.html

在ジュネーブ国際機関日本政府代表部「遠藤聡参事官、国連人権理事会第63会期一般討論」(2026年10月5日) URL:https://www.geneve-mission.emb-japan.go.jp/itprtop_en/statements_rights_20261005.html

カンボジア政府通信社(AKP)「Cambodia Reaffirms Commitment to Cooperation with UN Human Rights Mechanisms」(2026年8月7日) URL:https://www.akp.gov.kh/post/detail/377837

カンボジア政府通信社(AKP)「Cambodian Envoy to France Urges Concrete Actions to Restore Trust with Thailand」(2026年10月14日) URL:https://www.vps.akp.gov.kh/post/detail/383804

フランス外務省「Cambodia:Political and Economic Relations」(2026年6月10日更新) URL:https://www.diplomatie.gouv.fr/en/information-by-country/cambodia/political-and-economic-relations

Kampucheathmey Daily「France reaffirms commitment to Paris Peace Agreements on 35th anniversary」(2026年10月23日) URL:https://en.kampucheathmey.com/uncategorized/1150221/

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