1.「つながらない権利」は、勤務時間外や休日に業務連絡へ対応し続ける状態を避け、労働者の休息時間と私生活を守る考え方である。
2.日本では現時点で「つながらない権利」という明文の法的権利はないが、厚生労働省の研究会・労働政策審議会で制度化やガイドライン策定が議論されている。
3.自民党内でも労働基準法制の見直しが議論されており、長時間労働対策、勤務間インターバル、働き方改革の「総点検」と接続する論点になっている。

つながらない権利とは何か
「つながらない権利」とは、勤務時間外や休日に、会社からの電話、メール、チャット、業務アプリの通知などに応答し続けることを避け、労働者が仕事から離れて休めるようにする考え方である。スマートフォン、ビジネスチャット、テレワークの普及によって、職場にいなくても仕事の連絡を受けられるようになった。その便利さの裏側で、退勤後も心理的には仕事から離れられない状態が生まれている。
重要なのは、この権利が「仕事の連絡を一切してはいけない」という単純な話ではない点である。災害、重大なシステム障害、緊急の顧客対応など、勤務時間外の連絡が必要になる場面はある。問題は、緊急性の低い連絡まで常態化し、労働者が休息時間中も返信を迫られる状態である。つながらない権利は、勤務時間外の連絡をどこまで許容し、どこから拒否できるのかを、労使で明確にする考え方といえる。
日本では、まだ法律上の明文の権利ではない
日本の現行法令には、「つながらない権利」という名称の権利規定はない。厚生労働省が労働政策審議会に示した整理でも、「我が国の現行法令上、勤務時間外の業務上の指示や連絡に関する規制はない」とされている。つまり、現時点では、勤務時間外の連絡そのものを直接禁止する法律があるわけではない。
ただし、まったく無関係な状態に置かれているわけではない。労働基準法は労働時間、休憩、休日、時間外労働を規律している。労働安全衛生法は長時間労働者への面接指導や健康確保措置と関わる。労働時間等設定改善法では、勤務間インターバル、つまり終業から次の始業までの休息時間の確保が努力義務として扱われている。厚生労働省の研究会報告書も、勤務間インターバル制度について、同法上の努力義務にとどまり、時間数や対象者などは法令上示されていないと整理している。
このため、つながらない権利は、現行法では「労働時間の管理」「時間外労働の把握」「安全配慮」「勤務間インターバル」「テレワーク時の長時間労働防止」といった複数の制度にまたがる論点として扱われている。
厚生労働省は何を議論しているのか
厚生労働省の労働基準関係法制研究会は、2025年1月にまとめた報告書で、つながらない権利を「労働からの解放に関する規制」の中に置いた。報告書は、本来、労働時間ではない時間に使用者が労働者の生活に介入する権利はないとしつつ、現実には突発対応や顧客要求によって勤務時間外対応が生じ、私生活と業務の切り分けが曖昧になると指摘している。
同報告書は、欧州などで提唱されているつながらない権利について、不利益取扱いの禁止、使用者が労働者にアクセスできる時間帯の明確化や制限、労使交渉の義務付けなどを紹介している。フランスでは法制化されており、具体的内容は労使協議で決め、合意できない場合には使用者が行使方法を定めた憲章を作成する仕組みがあると整理されている。
日本での議論は、ただちにフランス型の権利をそのまま導入するというものではない。報告書は、勤務時間外にどのような連絡まで許容でき、どのような連絡は拒否できるのか、業務方法や事業展開を含めた社内ルールを労使で検討していく必要があるとし、その話し合いを促進するため、ガイドライン策定などの積極的方策を検討する必要があるとしている。
労働政策審議会では、労使で見方が分かれている
2025年6月6日の労働政策審議会労働条件分科会では、労働者側委員から、勤務時間外の連絡についてルールの法定化を検討する必要があるとの意見が出た。労働者側は、企業内だけでなく顧客や取引先との関係も含めなければ、つながらない権利の実効性は上がらないと述べている。
同じ会議では、つながらない権利は「全く労働から遮断する」話ではなく、勤務時間外の連絡手段をどうするかを労使で決めることだとの説明もあった。いつ連絡があるか分からない状態では、労働者が安心して労働から解放されたとはいえないという問題意識である。
使用者側は、勤務時間外の連絡の扱いは労働条件というより、働き方や仕事の進め方、指揮命令の権限とも関わるとみている。厚生労働省が整理した各側委員の意見では、使用者側から、まずはメール送付の抑制やシステムへのアクセス制限など、テレワークガイドラインに盛り込まれた内容を周知し、勤務時間外の連絡を抑制する社会的な意識改革を進めるべきだとの意見が示されている。
公益委員の整理では、この問題は一企業だけでは完結しない。他社からの休日・時間外連絡が過度になれば、カスタマーハラスメントにつながるおそれもあるとされ、ワーク・ライフ・バランスの実現に資するものとして社会的な周知が必要とされている。
厚労省のテレワークガイドラインは、すでに実務対応を示している
つながらない権利という言葉が法律にない一方で、厚生労働省はテレワークの労務管理に関するガイドラインの中で、近い考え方をすでに示している。テレワークでは、業務指示や報告が時間帯にかかわらず行われやすく、仕事と生活の時間の区別が曖昧になり、生活時間帯の確保に支障が生じるおそれがあると説明している。
同ガイドラインは、長時間労働を防ぐ手法として、時間外等のメール送付の抑制、所定外深夜・休日のシステムアクセス制限、時間外・休日・深夜労働の手続の明確化、長時間労働を行う労働者への注意喚起を挙げている。特に、時間外のメールや電話については、業務上の必要性、連絡があった場合の対応の要否を、各事業場の実情に応じて使用者がルール化することも考えられるとしている。
これは、つながらない権利を「権利」という言葉で明文化していなくても、実務上は、夜間・休日の連絡、システム利用、時間外労働の許可手続、労働時間把握の問題として処理できることを意味する。
自民党内では、労働基準法制の見直しとして議論
自民党内の議論では、「つながらない権利」だけを単独で大きく扱うというより、労働基準法制の見直し、働き方改革の総点検、多様な働き方への対応の一部として扱われている。自民党雇用問題調査会は2025年10月7日、労働基準関係法制に関する議論の状況について厚生労働省から説明を受け、意見交換した。自民党の公表記事によれば、厚労省は、働き方改革関連法の規定に基づき、労働政策審議会で労使双方の意見を聞きながら労働基準法等の見直しを議論していると説明した。
同会合では、政府の骨太の方針と新しい資本主義実行計画を踏まえ、働き方改革の「総点検」として、労働者の労働時間に関するニーズを把握するアンケート調査や、企業等へのヒアリング調査を行うことも説明された。
公開されている自民党記事には「つながらない権利」という語そのものは出ていない。ただし、労働政策審議会の同時期の議論では、法定休日・連続勤務規制、勤務間インターバル、つながらない権利が同じ「労働からの解放」の系統で扱われている。したがって、自民党内での議論は、労働時間規制を強めるのか、柔軟化するのか、企業実務にどこまで法的義務を課すのかという大きな枠組みの中で読む必要がある。
人権上の論点は「休む権利」と「生活時間」の保障
つながらない権利は、単なる働き方のマナーではない。労働者が休息を取る時間、家族と過ごす時間、育児・介護・通院・学習・地域活動に使う時間を守る問題である。勤務時間外の連絡が常態化すれば、労働者は実際には働いていなくても、いつ呼び出されるか分からない緊張状態に置かれる。これは、健康、私生活、家庭生活、精神的な安定に影響する。
特に、子育て中の労働者、介護を担う労働者、病気や障害と付き合いながら働く人、非正規雇用で評価や契約更新を気にする人にとって、勤務時間外の連絡を断ることは容易ではない。上司や取引先からの連絡に応じなかったことで「やる気がない」「責任感がない」と評価されるなら、形式上は自由時間であっても、実質的には仕事に拘束される。
そのため、つながらない権利の核心は、個人が勇気を出して通知を切ることではない。会社として、時間外連絡の可否、緊急連絡の範囲、返信不要の明示、夜間・休日のチャット利用、管理職の送信ルール、取引先への案内を定めることである。個人の我慢や気配りに任せる限り、弱い立場の労働者ほど「つながり続ける」側に追い込まれる。
企業が先にできること
法制化を待たなくても、企業は実務対応を進められる。まず、勤務時間外の連絡について、原則、緊急時を除き送らないというルールを置く。次に、緊急連絡の範囲を限定する。例えば、人命、安全、重大なシステム障害、法令上の期限、顧客への重大な損害に関わる場合などである。単なる確認、翌営業日で足りる報告、資料の催促は、勤務時間内に処理する対象と分ける。
管理職の行動も重要になる。部下に「返信は明日でよい」と書いて夜に送る運用は、受け手に心理的圧力を与える場合がある。送信予約機能、チャットの通知制限、休日のシステムアクセス制限、時間外連絡をした場合の理由記録などを組み合わせる必要がある。取引先に対しても、夜間・休日の連絡は翌営業日の対応になることを明示すれば、社内だけで完結しない問題にも対応しやすくなる。
つながらない権利は、休みたい人のわがままではない。労働時間と生活時間の境界を回復し、働く人の健康と尊厳を守るための制度論である。厚生労働省の研究会・労政審、自民党内の労働基準法制の議論は、今後、この考え方をガイドラインにとどめるのか、勤務間インターバルや就業規則の規定と結び付けて制度化するのかを検討する段階に入っている。
厚生労働省「労働基準関係法制研究会報告書」
URL: https://www.mhlw.go.jp/content/11402000/001370269.pdf
※同報告書は「労働からの解放に関する規制」の中で、勤務間インターバルや「つながらない権利」を扱っている資料です。
厚生労働省「第199回労働政策審議会労働条件分科会(資料)」
URL: https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_58588.html
※令和7年6月6日の分科会資料で、「労働時間法制の具体的課題について②」などが掲載されています。
厚生労働省「第204回労働政策審議会労働条件分科会 議事録」
URL: https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_66496.html
※議事録中で、「つながらない権利」について、業務時間外の連絡と休息確保の論点が示されています。
厚生労働省「テレワークの適切な導入及び実施の推進のためのガイドライン」
URL: https://www.mhlw.go.jp/content/000759469.pdf
※時間外・休日・深夜のメール送付抑制、システムアクセス制限、労使でのルール設定などに関係する資料です。
自由民主党「誰もが働きやすい環境の整備を 労働基準法制について議論」
URL: https://www.jimin.jp/news/information/211564.html
※自民党雇用問題調査会が、労働基準関係法制に関する議論状況について厚生労働省から説明を受けたことを伝える記事です。
