【部落地名総鑑事件】220超の購入先が映した採用差別

この記事のポイント

1.1975年11月に発覚した「部落地名総鑑」は、被差別部落の所在地などを記載し、企業の人事担当者らへ秘密資料として販売された。
2.大阪府の現行資料では、同種の図書9種類と、企業、病院、学校など220を超える購入団体が確認されている。
3.事件は、応募書類を適正化するだけでは採用差別を防げず、外部調査、秘密資料、採用担当者の判断過程まで管理する必要があることを示した。

部落地名総鑑事件から50年

一通の匿名投書から発覚

1975年11月18日、部落解放同盟大阪府連合会に匿名の封書が届いた。封書には、被差別部落の所在地を記載した冊子の販売を知らせる資料が同封されていた。同府連は冊子の現物を入手し、同年12月9日に記者会見を開いた。全国の地域名、所在地、世帯数、住民の主な職業などを記した資料が、企業の人事部門などへ販売されていた事実が社会に知られることになった。

「部落地名総鑑」は、特定の一冊だけを指す名称ではない。被差別部落の所在地一覧を収録した複数の冊子やコピー資料の総称である。大阪府の現行資料は同種の図書を9種類とし、価格は1冊5,000円から5万円、購入先は企業を中心に病院や学校など220を超える団体だったと説明している。資料によって8種類とする記載もあるが、これは法務省が1989年までに整理した範囲など、集計時点の違いによる。本稿では大阪府の現行資料に従う。

地域情報が採用選考の道具になった

販売された冊子は、郷土史や地域政策の研究を目的とした資料ではなかった。冊子の一部には「人事極秘」などの表記があり、販売案内も企業の人事担当者を対象としていた。応募者の住所や本籍に関する情報を冊子と照合すれば、本人や家族が被差別部落に関係するかを推測できるという商品だった。東京労働局の採用啓発資料も、企業の人事関係に利用する目的で発行され、全国で200を超える企業が購入したと整理している。

購入したという事実だけで、各企業が特定の応募者を不採用にしたことまで一律に証明されるわけではない。しかし、本人の能力や職務適性とは関係のない出身地域を確認するため、企業が予算を使って秘密資料を入手したこと自体が、採用選考に差別的な基準を持ち込む行為だった。

事件の中心は、採用担当者個人の偏見だけではない。冊子を購入し、社内で保管し、人事資料として使える状態にした組織の意思決定にある。差別的な情報が商品として成立した背景には、調査業者の供給だけでなく、それを必要とする企業側の需要があった。

応募書類の改善をすり抜けた秘密調査

公正採用選考の取組は、部落地名総鑑事件から始まったわけではない。1971年には近畿で高校卒業者向けの統一応募用紙が作られ、1973年には全国統一応募用紙が導入された。労働省と文部省は、企業独自の身上調査書を廃止し、統一応募用紙を使うよう企業へ通知した。1974年には市販履歴書のJIS規格が改められ、1975年には労働者名簿の本籍地記載も都道府県までに制限された。

部落地名総鑑事件が明らかにしたのは、応募書類から本籍や家族情報を削除しても、企業が外部の調査業者や秘密資料を使えば、制度を迂回できるという問題だった。表面上は統一応募用紙を使用しながら、別の経路で応募者の出身や家族背景を調べれば、採用判断には同じ偏見が入り込む。

このため、公正採用選考は「不適切な質問をしない」という面接技法だけでは完結しない。応募者について誰が、どの情報を、どの目的で収集するのかを限定し、調査会社、職業紹介事業者、採用管理システムなど外部委託先の取扱いも監督する必要がある。

労働大臣談話から企業内推進員制度へ

労働大臣は1975年12月15日、冊子が同和地区住民の就職機会を侵害し、差別を招来、助長する悪質な文書だとする談話を出した。関係12省庁の事務次官は、経済6団体に対し、企業が部落問題の解決に関する社会的責任を果たすよう要請した。購入企業には関係行政機関による指導も行われた。

労働省は1977年、一定規模以上の企業を対象に「企業内同和問題研修推進員制度」を創設した。採用担当部門に責任者を置き、継続的な研修と公正な採用システムの整備を進める制度である。1997年には「公正採用選考人権啓発推進員制度」へ改称され、同和問題に限らず、幅広い人権課題を含む採用選考の体制整備へ対象を広げた。

制度創設の意味は、担当者に研修を受けさせることだけではない。採用方針、応募書類、面接質問、身元調査、個人情報管理を企業内部で点検する責任者を明確にした点にある。部落地名総鑑事件が示した組織的な問題に対し、組織内の管理責任を制度化した対応だった。

現在の法制度が禁じる情報収集

職業安定法第5条の5は、求人者や職業紹介事業者などが求職者の個人情報を取り扱う場合、業務目的の達成に必要な範囲で収集、保管、使用しなければならないと定めている。厚生労働大臣の指針は、人種、民族、社会的身分、門地、本籍、出生地など、社会的差別の原因となるおそれのある情報について、特別な職業上の必要性がある場合などを除き、収集しないよう定める。思想・信条や労働組合への加入状況も同様である。

大阪労働局は、国籍、本籍、出生地、家族の職業や収入、住宅状況、生活環境などを採用時に把握することや、身元調査を行うことは、就職差別につながるおそれがあると説明している。企業に差別する意図がなかったとしても、職務と関係のない情報を把握すれば、担当者の評価に先入観が入り込む可能性があるためである。

事件が企業に残した三つの責任

部落地名総鑑事件が現在の企業に残した責任は、第一に、応募者を職務上の適性と能力によって評価することである。住所、出身地、家族、資産などを能力の代替指標として使えば、本人が変えることのできない属性によって就職機会を制限することになる。

第二に、採用情報の取得経路を管理することである。応募者へ直接質問しなくても、調査会社、検索サービス、SNS、社内外のデータベースを使って同じ情報を取得すれば、公正採用選考の趣旨をすり抜ける。人事部門は、委託先が収集する項目、調査方法、保存期間、採否判断への使用範囲を確認しなければならない。

第三に、採用判断の記録を残すことである。採否の理由が職務要件と対応していなければ、出身地や家庭環境に対する先入観が判断へ影響しても、後から検証できない。求人要件、評価項目、面接記録、最終判断を対応させることは、差別を防ぐと同時に、企業自身が判断の適正さを説明する基盤となる。

1975年に判明した220を超える購入先は、差別的な情報が人事担当者の個人的関心ではなく、企業活動の内部へ組み込まれていた事実を示した。事件から半世紀を経た現在、企業が点検すべき対象は紙の応募書類だけではない。採用担当者が閲覧できる外部情報、調査委託先、採用管理システムを含め、応募者の適性と能力に関係のない情報を選考過程へ入れない仕組みを維持できているかが問われる。

出典

大阪府「公正な採用選考を受けるために(参考資料)」
URL:https://www.pref.osaka.lg.jp/o110110/nokai/kouseisaiyou/sankou.html

東京労働局「採用と人権」
URL:https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-hellowork/content/contents/8-01.pdf

大阪労働局「公正な採用選考について」
URL:https://jsite.mhlw.go.jp/osaka-hellowork/content/contents/002650182.pdf

長崎県「公正採用の実現―就職差別撤廃の取組みに学ぶ」
URL:https://www.pref.nagasaki.lg.jp/uploads/2024/03/1711440376.pdf

東京都人権啓発センター「就職差別を根絶し公正な採用選考を 『部落地名総鑑』事件から40年」
URL:https://www.tokyo-jinken.or.jp/site/tokyojinken/tj-66-feature.html

部落解放・人権研究所「一通の手紙から―『部落地名総鑑』差別事件の発覚から30年」
URL:https://blhrri.org/old/info/koza/koza_0135.htm

人権ニュース編集部

人権ニュース編集部は、官公庁、自治体、企業、公益団体、国際機関等が公表する一次情報をもとに、差別、労働、教育、福祉、司法・制度、外国人共生、ビジネスと人権などに関するニュースと解説を発信しています。掲載内容は、出典確認を行ったうえで、制度的背景や人権上の論点を補足して構成しています。

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