【連載 改定版「ビジネスと人権」行動計画を読む】第2回 改定の背景――日本企業はどこまで進み、何が足りないのか

ビジネスと人権

「ビジネスと人権」に関する行動計画の改定版を理解するうえで、まず押さえるべきなのは、日本企業の取組がこの数年で確かに前進した一方で、その進展にはなお濃淡があるという点である。政府は旧計画の下で、ガイドラインの策定、公共調達における人権配慮の導入、実務参照資料や食品企業向け手引きの公表、相談窓口や研修の整備などを進めてきた。その結果、企業側でも「ビジネスと人権」は抽象的な理念ではなく、具体的な経営課題として受け止められるようになってきた。

実際、改定版は、日本企業の取組が目に見えて進んだことを明記している。経団連の第3回調査では、指導原則に基づき取組を進めていると回答した企業は76%に達し、第2回調査時の36%から大幅に増加した。また、人権尊重に関する方針を策定している企業の割合は、「単独で策定済み」と「グループ共通の方針を適用済み」を合わせて91%となり、2020年時点の65%から大きく伸びている。少なくとも大企業を中心に、人権方針の策定や社内体制の整備は、もはや一部先進企業だけの話ではなくなったといえる。

もっとも、改定版が問題にしているのは、こうした前進がそのまま日本企業全体の成熟を意味しないという点である。象徴的なのが企業規模による格差だ。ジェトロ調査では、人権方針を策定していると回答した割合は大企業で76%だったのに対し、中小企業では32.5%にとどまった。どちらも前年度よりは増えているものの、その差はなお大きい。つまり、日本の「ビジネスと人権」は、先行する企業群と、まだ入口に立てていない企業群が併存する段階にある。改定版が中小企業支援や能力構築を重視するのは、この現実を踏まえているためである。

企業が直面しているのは、単に人権方針を作るか否かという問題だけではない。改定版は、企業側から「どの程度のリスクまで具体的に取り組むべきか判断が難しい」「十分な人員・予算を確保できない」といった声が上がっていることも紹介している。さらに、実際に取組を始めた企業であっても、サプライチェーンが複雑で課題の特定が難しいことや、一社だけでは解決できない構造的問題があることに悩んでいる。つまり、現在の日本企業の課題は、認識不足だけではなく、実装の困難さに移っているのである。

一方で、国際的な環境変化は、企業に猶予を与えていない。改定版は、欧米諸国を中心に関連法制が進展し、各国の人権デュー・ディリジェンス関連法が、リスク分析や予防措置、人権報告書や声明の公表、苦情処理メカニズムの構築などを企業に求めていると整理する。とくにEUでは、2023年にCSRD、2024年にCSDDDが発効し、一定条件を満たすEU域外企業や親会社にも適用され得る枠組みが整えられた。2025年には欧州委員会が簡略化を含むオムニバス法案を示し、制度は調整局面にもあるが、それでも日本企業にとって「海外の規制対応は一部企業だけの課題ではない」という流れ自体は変わっていない。

この点は、企業側の回答にも表れている。改定版によれば、企業が対応している、又は今後対応予定の海外法令として、EUのCSRDが46%、英国の現代奴隷法が44%、EUのCSDDDが38%と挙げられている。つまり日本企業は、すでに人権尊重を国内の自主的取組としてではなく、海外市場で事業を継続するための実務要件として認識し始めている。人権問題は、CSRや広報の領域にとどまらず、輸出、調達、投資、上場開示、サプライチェーン管理の条件になりつつある。

さらに見落としてはならないのは、政府がこの問題を企業の自助努力だけに委ねていない点である。改定版は、業界団体によるガイドライン整備、国際機関との連携、専門人材の育成、海外進出先での能力構築支援まで言及している。つまり、日本政府の問題意識は、「企業はもっと頑張るべきだ」という道徳的呼びかけではなく、「企業が人権尊重を実装できる環境をどう整えるか」という政策設計に移っている。改定の背景にあるのは、理念の普及段階から、実装支援と制度接続の段階への移行である。

第2回の結論は明快だ。日本企業は、確かに数年前より前へ進んだ。しかし、前進したからこそ、次の課題が鮮明になった。人権方針を作っただけでは足りず、サプライチェーンの中で何が起きているのかを把握し、優先順位を付け、説明し、必要に応じて是正するところまで進まなければならない。その意味で改定版は、日本企業の努力を評価しつつも、「ここからが本番だ」と告げる文書だといえる。次回は、その中心概念である人権デュー・ディリジェンスとは何かを、できるだけ平易に整理したい。

今回の改定版で注目すべきなのは、日本政府が「遅れている企業を前に進める」だけでなく、「先行企業が損をしない環境をつくる」という発想を明確にしている点である。人権尊重の取組は、コストや手間を伴う以上、真面目に取り組む企業ほど短期的には不利になりやすい。だからこそ改定版は、レベル・プレイング・フィールド、すなわち公平な競争条件の確保を重視している。これは人権政策であると同時に、産業政策でもある。今後の焦点は、「規制するか否か」という単純な二項対立ではなく、取引、開示、調達、投資、補助金の各局面で、人権尊重に取り組む企業が正当に評価される仕組みをどこまで作れるかにある。日本の「ビジネスと人権」は、理念普及の段階を過ぎ、競争秩序の設計という局面に入りつつある。

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