【連載 改定版「ビジネスと人権」行動計画を読む】第10回 能力構築と中小企業支援――『分かっていても進められない』をどう越えるか

ビジネスと人権

ここまで見てきたように、改定版行動計画は、人権デュー・ディリジェンス、サプライチェーン、ジェンダー、外国人労働者、子ども・若者、障害者、高齢者、AI、環境と、幅広い論点を扱っている。だが、企業実務の立場から見れば、最大の壁は「何をすべきかは分かっても、実際にどう始めればよいか分からない」という点にある。改定版が「指導原則の履行推進に向けた能力構築」を独立した優先分野に置いたのは、この現実を直視したためである。人権尊重は、理念だけでは前に進まない。企業が実際に動けるようにするための知識、支援、人材、相談体制が必要だという認識が、ここにはある。

改定版は、これまでの取組として、ビジネスと人権に関する情報を一元化したポータルサイト、実務参照資料、食品企業向け人権尊重の取組のための手引き、「労働におけるビジネスと人権チェックブック」、好事例集、ジェトロの「ビジネスと人権」早わかりガイドなどを挙げている。ここから分かるのは、政府が企業に対して、抽象的な理念だけでなく、業種別・実務別・段階別に参照できる材料をかなり整えてきたということだ。とくに、食品企業向け手引きや中小企業向け取組事例集の存在は、行動計画が一部の大企業だけを対象にしていないことを示している。

それでもなお、改定版は、企業側に「どの程度のリスクまで具体的に取り組むべきか判断が難しい」「十分な人員・予算を確保できない」といった悩みがあることを明記する。さらに、取組を進めている企業でも、サプライチェーンの構造が複雑で課題の特定が難しいことや、一社だけでは解決できない複雑な問題があることが課題だとされる。つまり、能力構築の必要性は、単に認識不足を補うためではない。既に問題意識を持っている企業が、実装段階でつまずいているからこそ、次の支援が必要になっているのである。

そこで改定版は、中小企業を含む企業に対する情報・助言・支援等の提供を方向性として掲げる。具体的には、業界団体等を通じた新計画やガイドラインの周知、産業や中小企業の特性を考慮した手引き・好事例の作成と共有、人権尊重の取組の導入体験支援やワークショップ、専門家活用を通じた中小企業向け支援、企業からの相談受付と情報提供、人権尊重の取組進捗のフォローアップなどである。ここで注目すべきなのは、「企業が自分で調べて頑張る」ことを前提にするのではなく、伴走型の支援や継続的なフォローが重視されている点である。

また改定版は、能力構築を国内企業向け支援に限定していない。国際機関等への拠出を含む海外進出先地域への能力構築支援や、在外公館による現地事情の情報提供にも言及している。これは重要である。サプライチェーン上の人権課題は、しばしば海外の取引先や現地の制度環境と結び付いており、日本国内だけの知識提供では不十分だからだ。つまり、政府は企業単体の努力だけでなく、海外サプライチェーンの側にも支援を広げ、企業が取り組みやすい環境を整えようとしている。

さらに改定版は、教育・研修による啓発の促進にも力点を置く。専門家の育成・普及、研修や最新の国際動向の共有、政府職員や地方公共団体職員への研修、学校教育での人権理解を基礎とした消費者教育・労働者教育の推進などが盛り込まれている。ここには、ビジネスと人権を企業の内部問題に閉じ込めず、社会全体の理解と基盤形成の課題として捉える視点がある。企業が人権尊重を進めるには、ライツホルダー自身が声を上げられること、支援者や行政側にも理解があること、消費者も一定の知識を持つことが重要だという理解である。

企業の側から見れば、能力構築とは「特別な知識を持つ少数の専門家を置くこと」だけではない。本質は、人権の視点を調達、労務、営業、投資判断、危機管理、情報開示の中にどう埋め込んでいくかである。改定版が専門人材育成だけでなく、手引き、研修、相談、事例共有、フォローアップを並列しているのは、人権尊重が一部署の仕事ではなく、組織横断的な実務課題だからだろう。中小企業であっても、まずは自社に関係の深い分野から優先順位を付け、既存の支援ツールを使いながら進めることが現実的な出発点になる。次回は、企業の情報開示、公共調達、救済へのアクセスという、行動計画が企業行動を外側から変えていく論点をまとめて見ていきたい。

改定版が能力構築を重視するのは、人権尊重を「善意のある企業だけが先に進むテーマ」にしてしまうと、社会全体としては広がらないからだろう。日本企業の多く、とくに中小企業では、人権尊重に反対しているのではなく、何から始めればよいか分からず、日々の業務に追われて後回しになるというのが実態に近い。だからこそ、本当に重要なのは、理想論を重ねることではなく、始めやすい導線をどれだけ設計できるかである。今後の成否は、先進企業の事例を増やすこと以上に、平均的な企業が一歩を踏み出せる支援インフラをどこまで整えられるかに懸かっているのではないか。

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