
「ビジネスと人権」に関する議論で、最も重要でありながら最も誤解されやすい言葉が、人権デュー・ディリジェンスである。人権方針を掲げることが企業の姿勢表明だとすれば、人権デュー・ディリジェンスは、その方針を現実の事業活動の中で機能させるための実務的な手順である。改定版行動計画は、第2章の最初に「人権デュー・ディリジェンス及びサプライチェーン」を掲げ、第3章でも企業に求められる中心的な取組として位置付けた。つまり、この概念を理解しない限り、改定版の核心は見えてこない。
改定版は、人権デュー・ディリジェンスを、企業が自社・グループ企業、サプライヤー等における人権への負の影響を特定・評価し、防止・軽減し、その取組の実効性を評価し、どのように対処したかについて説明・情報開示していくための一連の行為だと整理している。要するに、問題を探し、手を打ち、それが効いているかを確かめ、外部に説明するまでが一つの流れだということだ。単なる調査ではないし、単なる社内点検でもない。企業活動が誰にどのような不利益を与え得るのかを把握し、その影響を現実に減らしていくための継続的な仕組みなのである。
ここで重要なのは、「人権リスク」とは企業にとっての評判リスクや法務リスクだけを意味しないという点だ。改定版が見ているのは、企業活動によってライツホルダーが受ける負の影響である。たとえば、自社や取引先の職場における安全衛生、過重労働、ハラスメント、差別といった問題が典型例として挙げられている。さらに、外国人労働者、女性、LGBTQ、障害者、非正規雇用労働者など、社会的に弱い立場に置かれやすい人々への影響も重視されている。人権デューディリジェンスは、企業防衛のための作業というより、企業活動のなかで誰が傷つきやすいのかを見極める作業だと捉えたほうが実態に近い。
そのため、人権デュー・ディリジェンスは自社の内部だけで完結しない。改定版は繰り返しサプライチェーンに言及し、自社・グループ会社のみならず、サプライヤー等にまで視野を広げる必要があることを示している。海外で事業を展開する日本企業や、海外と取引のある企業にとっては、欧米諸国で進む人権デュー・ディリジェンスや情報開示の義務化への対応が現実の課題になっている。取組が不十分な場合には、取引停止や投資候補先からの除外もあり得るとされており、いまや人権尊重は企業の信用や事業継続に直結する条件になりつつある。
もっとも、ここで陥りやすい誤解がある。人権デュー・ディリジェンスとは、サプライチェーンの隅々まで一度に完全把握しなければならない、という意味ではない。改定版第3章は、企業が直ちに全ての負の影響に対処することが難しい場合もあると認めたうえで、より深刻度の高い人権への負の影響から優先して対応することが重要だと記す。これは実務上きわめて大きい意味を持つ。すべてを同時にやろうとして動けなくなるよりも、深刻な問題から優先順位をつけて着手することが、改定版の考え方に沿っている。中小企業にも現実的な入口を残した設計だといえる。
また、人権デュー・ディリジェンスは、企業が一方的に取引先へ要求を突きつけることとも違う。改定版は、サプライヤー等に人権尊重の取組を要請するに当たっては、十分な情報・意見交換を行い、その理解や納得を得られるよう努め、共に協力して取り組むことが重要だとしている。ここには、日本企業にありがちな「取引先管理」の発想から、「取引先との協働」へ軸足を移すべきだという含意がある。人権問題の多くは、発注価格、納期、現場慣行、労働市場の構造など、個社だけでは解けない要因と結び付いている。だからこそ、意味のあるエンゲージメントが重視されるのである。
さらに改定版は、紛争や深刻な暴力の影響を受ける地域で事業を行う場合には、高いリスクに応じた「強化された人権デュー・ディリジェンス」が必要だとする。通常どおりに企業活動を行っているつもりでも、結果的に紛争や深刻な人権侵害に加担してしまう可能性があるからだ。これは一部の特殊な企業だけの話ではなく、国際的な原材料調達や委託生産、物流、インフラ事業などに関わる企業全般に関係し得る論点である。改定版がこの点を明示したことは、日本企業に対して、人権デューディリジェンスを平時の管理手法としてだけでなく、高リスク環境への対応手法としても捉えるよう求めたものといえる。
企業実務の観点から見れば、人権デュー・ディリジェンスの出発点は必ずしも大がかりなものではない。改定版は、指導原則が求める人権尊重の取組の中には、企業がすでに当然のこととして行っている取組も含まれていると指摘する。働き方改革、ハラスメント防止、安全衛生、相談窓口、調達先への行動規範、社是や経営理念など、名称は違っても人権尊重に通じる実践は少なくない。重要なのは、それらを単発の施策として散在させるのではなく、「どの負の影響を、誰に対して、どう減らすのか」という観点で再整理し、継続的に回る仕組みに組み替えることだろう。人権デューディリジェンスとは、新しい仕事を無限に増やすことではなく、既存の取組を人権の視点でつなぎ直す作業でもある。
今回の要点を一言でいえば、人権デュー・ディリジェンスとは、企業が「良いことを言う」段階から、「何が起きているかを把握し、優先順位を付け、改善し、説明する」段階へ進むための方法論であるということだ。改定版行動計画がこの概念を中核に据えたのは、人権尊重を理念から実務へ移すためには、この手順なしに前へ進めないと考えているからである。次回は、この人権デュー・ディリジェンスが、なぜ自社の内側だけでなく、サプライチェーン全体で問われるのかをさらに掘り下げたい。
人権デュー・ディリジェンスの本質は、企業に完璧さを求めることではなく、無関心でいることを許さない点にある。改定版も、全ての問題を一挙に解決することまでは求めていない。むしろ、どこに深刻な負の影響があり、そこにどう向き合ったのかを問うている。これは見方を変えれば、日本型経営にとって相性の悪い概念ではない。日本企業はしばしば「現場改善」や「継続的改善」を得意としてきたが、人権デュー・ディリジェンスは、それを品質やコストではなく、人の尊厳に対して適用する発想だともいえる。問題は、改善能力の有無ではなく、経営がそこを本当に優先課題として認識できるかどうかである。今後の分岐点は、コンプライアンス部門に任せる周辺課題として扱うのか、調達、労務、営業、投資判断を含む経営の中枢課題として扱うのかにある。
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