
企業活動と人権の関係は、もはや一部の大企業だけの課題ではない。製品やサービスの調達、生産、販売、雇用、情報開示まで、企業活動のほぼ全域が人権と接続する時代に入っている。こうした流れを受け、日本政府は2020年10月に初めて「『ビジネスと人権』に関する行動計画(2020―2025)」を策定し、その後の国内外の変化を踏まえて、2025年12月に改定版を承認した。改定版は、単なる理念の再確認ではなく、日本企業を取り巻く経営環境そのものが変化したことを前提に、政府と企業の双方に新たな対応を求める文書である。
改定版が掲げる目的は明確だ。第一に、国際社会を含む社会全体の人権の保護・促進。第二に、「ビジネスと人権」関連政策に係る一貫性の確保。第三に、日本企業の国際的な競争力及び持続可能性の確保・向上。第四に、SDGsの達成への貢献である。注目すべきは、人権尊重が単なる倫理的要請としてではなく、企業の競争力や持続可能性と結びついた政策課題として位置付けられている点だ。人権を守ることと、企業が国内外で信頼を獲得し、持続的に成長することは、対立概念ではなく、むしろ相互補完的な関係にあるというのが、改定版の基本認識である。
その背景には、2020年以降の急速な環境変化がある。政府はこの間、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」、公共調達における人権配慮の政府方針、実務参照資料、食品企業向け手引き、「労働におけるビジネスと人権チェックブック」などを相次いで整備してきた。日本企業でも、人権方針の策定・公表や人権デュー・ディリジェンス、救済に関する取組は進展した。一方で、海外では欧州を中心に関連法制が強化され、海外で事業を展開する日本企業にとっては、もはや自主的取組だけでは足りず、国際ルールへの対応が経営上の現実的課題になっている。
改定版の特徴は、従来の施策を単発の政策として並べるのではなく、「優先分野」として再整理したことにある。柱となるのは、人権デュー・ディリジェンス及びサプライチェーン、「誰一人取り残さない」ための施策推進、AI・環境などのテーマ別人権課題、能力構築、企業の情報開示、公共調達・補助金事業等を含む公契約、救済へのアクセス、そして実施・モニタリング体制の整備という8分野である。つまり改定版は、「企業に何を求めるか」だけではなく、「政府がどの分野で環境整備を進めるか」を横断的に示した設計になっている。
さらに第3章では、日本政府が企業に対し、その規模や業種を問わず、国際的に認められた人権を尊重し、人権尊重の取組に最大限努めることを期待すると明記した。企業に求められる基本的なステップは、人権方針の策定・公表、人権デュー・ディリジェンスの実施、そして自社が人権への負の影響を引き起こし、助長し、又は直接関連している場合の防止・軽減・救済である。ここで重要なのは、政府が「一部先進企業の先行事例」としてではなく、「全ての企業に共通する責任」としてこの問題を位置付けていることである。
改定版はまた、毎年の実施状況確認、円卓会議・作業部会の継続、公表から5年を目途とした見直し検討も定めている。つまり、この文書は一度出して終わる宣言文ではなく、進捗確認と修正を前提にした運用文書である。今後問われるのは、企業がどこまで人権を「理念」から「実務」へ移せるか、そして政府が支援策とモニタリングを通じてどこまで実効性を高められるかである。
この改定版を読むうえで重要なのは、「人権配慮が強まった」という表面的理解にとどまらないことだ。むしろ本質は、日本政府が人権を、企業の社会的責任の話から、競争政策、通商政策、公共調達、開示政策、人材政策にまたがる経済統治のテーマへ引き上げた点にある。とくに日本では、これまで「ビジネスと人権」が一部の輸出企業や上場企業の課題として語られがちだった。しかし改定版は、中小企業支援、取引慣行、補助金、公契約、能力構築まで射程に入れており、実際には国内産業政策の内部にこの論点を組み込み始めている。今後の焦点は、法的義務化の有無だけではなく、取引先評価、調達、融資、開示、採用の各局面で、人権尊重がどこまで事実上の標準になっていくかにある。そこまで進めば、「ビジネスと人権」は理念ではなく、企業経営の基本インフラになるはずである。
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