1.松本治一郎は1925年に全国水平社の中央委員会議長となり、戦前から戦後にかけて部落解放運動を率いた。
2.1922年の水平社宣言が掲げた「人間の尊厳」は、戦後の日本国憲法、1965年の同和対策審議会答申へと異なる制度的形態で引き継がれた。
3.2016年の部落差別解消推進法と法務省の実態調査は、部落差別がインターネットを含む現在の問題であることを示している。

1887年6月18日に福岡県で生まれた松本治一郎は、1920年代から部落解放運動に加わり、1923年には全九州水平社の執行委員長、1925年には全国水平社の中央委員会議長となった。全国水平社そのものは1922年3月3日、京都の岡崎公会堂で創立されている。京都府立京都学・歴彩館に残る記録では、創立大会には約2,000~3,000人が参加し、綱領、宣言、決議を採択した。初代中央執行委員長は南梅吉であり、松本を「全国水平社の創設者」とだけ説明するのは正確ではない。松本の特徴は、創立後に拡大した水平運動を長期にわたって率い、政治の場に部落差別の問題を持ち込んだ点にある。
全国水平社創立宣言は「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で結ばれる。注目すべきなのは、差別を受ける人々を外部から「救済する」発想ではなく、被差別当事者自身による解放と人間としての尊厳を前面に出したことである。綱領には「経済の自由と職業の自由」を社会に要求することも掲げられた。1922年当時、日本国憲法はまだ存在せず、現在の憲法14条が定める法の下の平等も制度化されていなかった。水平社宣言と戦後憲法は成立過程も法的性格も異なるが、出生や社会的身分を理由とした排除を人間の尊厳と平等の問題として捉える点では、比較して読むことができる。
松本は政治家としても部落差別の問題に関わった。1936年に衆議院議員となり、戦後は参議院議員に転じた。1947年5月20日には、新設された参議院の初代副議長に選ばれ、1949年2月25日まで務めている。その後、公職追放を受けたが、1951年に解除されて政界へ復帰した。1965年8月には同和対策審議会が答申を提出し、同和問題の解決を「国の責務」であり「国民的課題」として扱った。これは松本個人の活動だけで成立した政策ではない。多数の当事者、運動団体、自治体、政治家らによる長年の働きかけを経たものである。ただ、差別を個人間の偏見だけではなく、生活環境、教育、就労、社会福祉を含む政策課題として国に扱わせようとした運動に、松本が長く関与したことは、戦後の同和行政を理解するうえで重要な経緯である。
松本が1966年11月22日に死去した後、制度はさらに展開した。1969年には同和対策事業特別措置法が制定され、地域の生活環境、教育、福祉、産業などを対象とする特別対策が始まった。特別対策は法律を変えながら2002年3月末まで続き、その後は一般施策へ移行する。しかし、ここで「生活環境の改善によって部落差別も解消した」と考えることはできない。2016年12月16日に施行された部落差別解消推進法は、「現在もなお部落差別が存在する」との認識を法律上明示し、国と地方公共団体による相談体制、教育・啓発、実態調査を定めた。かつての地域改善事業と異なり、現在の制度は差別そのものや情報化に伴う問題への対応に重点を移している。
法務省が同法6条に基づいて実施し、2020年6月に公表した実態調査では、調査対象者4,157人のうち、インターネット上の部落差別に関する人権侵害事例を「見たことがある」と答えた割合は10.8%だった。法務省が把握したインターネット上の部落差別関係の人権侵犯事件では、特定地域などを示す「識別情報の摘示」が多くを占めた時期も確認されている。水平社が活動した時代の差別と、検索、転載、SNSを通じて情報が拡散する現代の差別は、発生の仕組みが同じではない。それでも、本人の人格や能力ではなく出身や家系によって人を分類し、社会参加を制限するという問題は残る。松本治一郎の生涯を現在から読み直すなら、記念的人物として顕彰するだけではなく、1922年の水平社宣言から1965年の同和対策審議会答申、2016年の部落差別解消推進法へと、差別を「個人の偏見」だけで処理しない制度が形成されてきた過程を検証することになる。
京都府立京都学・歴彩館「全国水平社創立大会」
URL: https://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/detail?cls=371_chronicle&pkey=0000037165
参議院「歴代議長・副議長一覧」
URL: https://www.sangiin.go.jp/japanese/aramashi/ayumi/gicho_ichiran.html
法務省「部落差別(同和問題)を解消しましょう」
URL: https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00127.html
法務省「部落差別の実態に係る調査結果報告書」
URL: https://www.moj.go.jp/content/001328157.pdf
国立国会図書館「松本治一郎の公職追放」
URL: https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I5842154
部落解放同盟中央本部「松本治一郎」
URL: https://www.bll.gr.jp/archive/s-ta-matum.html
