幸福追求権とは、すべての人が個人として尊重され、自分の生き方や生活に関する事柄を自ら選択しながら生きる利益を保障する、憲法上の包括的な権利です。日本国憲法第13条は、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について、公共の福祉に反しない限り、国政上最大限尊重しなければならないと定めています。
1.幸福追求権の意味
幸福追求権は、国が国民に特定の幸福を与えたり、幸福な状態を保証したりする権利ではありません。何を幸福と考えるかは人によって異なるため、国家が一つの生き方や価値観を決めるのではなく、それぞれの人が自分の人生を選択できる自由を尊重することに主眼があります。
日本国憲法第13条の前段は、「すべて国民は、個人として尊重される」と定めています。後段に置かれた幸福追求権は、この個人の尊重を具体的な権利として保障する規定と考えられています。
日本国憲法には、表現の自由、信教の自由、職業選択の自由、教育を受ける権利などが個別に定められています。しかし、社会や技術の変化によって、憲法制定時には明文で想定されていなかった利益が人の生活に大きな影響を及ぼすようになる場合があります。
幸福追求権は、憲法に個別の条文がない権利や自由を保障する根拠となる包括的な規定です。プライバシー権、肖像に関する利益、自己決定権などは、憲法第13条との関係で論じられてきました。もっとも、個人が望む利益のすべてが、直ちに憲法上の権利になるわけではありません。人格的な生存や個人の自律にとって重要な利益であるかを個別に検討する必要があります。
2.制度・法律との関係
幸福追求権の根拠となる日本国憲法第13条は、個人の尊重と、生命、自由及び幸福追求に対する権利を一つの条文に定めています。国会が法律を制定するときや、行政機関が制度を運用するときは、個人の生命や自由に与える影響を考慮し、これらの権利を最大限尊重しなければなりません。
最高裁判所は1969年12月24日の京都府学連事件判決で、憲法第13条の趣旨から、個人の私生活上の自由の一つとして、承諾なしにみだりに容貌や姿態を撮影されない自由を認めました。ただし、犯罪捜査の必要性や緊急性があり、撮影方法が相当な範囲にとどまる場合には、本人の承諾がなくても撮影が許されることがあると判断しています。
プライバシーや個人情報についても、個人に関する情報をみだりに第三者へ開示または公表されない利益が、憲法第13条に関係するものとして裁判で扱われてきました。個人情報保護法や行政機関の情報管理制度は、このような人格的利益を具体的に保護する役割を持ちます。
自己決定権も、幸福追求権と関係する概念です。医療を受けるかどうか、家族や婚姻に関する選択、外見や身体に関する事柄など、自分の生き方に深く関わる問題について、本人の意思をどこまで尊重するかが争点となります。ただし、自己決定権の対象や憲法上の保障範囲について、裁判上の判断がすべて確立しているわけではありません。
3.人権上の論点
幸福追求権は、個人の自由を広く保障する一方、他人の権利や公共の利益との調整を必要とします。日本国憲法第13条も、「公共の福祉に反しない限り」という条件を置いています。
公共の福祉は、国が抽象的な公益を掲げれば自由を制限できるという意味ではありません。生命、身体、安全、名誉、プライバシーなど、複数の人の権利や利益が衝突するときに、それらを調整するための考え方です。権利を制約する場合には、目的に正当性があるか、制約が必要か、手段が過度ではないかを具体的に確認しなければなりません。
例えば、感染症対策、防犯、犯罪捜査、学校や施設の安全管理は、一定の行動制限や情報収集を必要とする場合があります。しかし、安全や秩序という目的だけで、本人の行動、外出、通信、身体、個人情報を無制限に管理することは認められません。対象者の範囲、制限の期間、代替手段、受ける不利益を個別に検討する必要があります。
幸福追求権は、新しい技術や社会問題を人権の面から検討する際にも使われます。顔認識技術、位置情報、遺伝情報、人工知能による評価などは、憲法に直接の規定がありません。それでも、個人の行動や選択、私生活、人格に重大な影響を及ぼす場合には、個人の尊重や幸福追求権との関係が問題になります。
幸福追求権は、「本人が望んだことであれば、あらゆる行為が認められる」という権利ではありません。個人の自律を尊重しながら、他人の権利を侵害しない範囲を定め、国による制限が必要以上に広がらないようにするための憲法上の基準です。