人権デュー・ディリジェンスとは

人権デュー・ディリジェンス(Human Rights Due Diligence、HRDD)とは、企業が自社や取引先などの事業活動を通じて生じる、または生じる可能性のある人権への負の影響を特定し、防止・軽減し、対応の実効性を確認したうえで、どのように対処しているかを説明する継続的なプロセスです。

単なる法令違反の確認や、一度限りの取引先調査を意味するものではありません。企業活動によって実際に影響を受ける労働者、消費者、地域住民などの立場から人権リスクを把握し、事業環境や取引関係の変化に応じて対応を繰り返していくことが重要です。

国連「ビジネスと人権に関する指導原則」は、企業が人権を尊重する責任を果たすため、人権への実際の、または潜在的な負の影響を評価し、その結果を企業活動に組み込み、対応を追跡し、どのように対処しているかを説明する人権デュー・ディリジェンスを実施することを示しています。

1.人権デュー・ディリジェンスの意味

人権デュー・ディリジェンスの目的は、企業の評判悪化や訴訟などの経営リスクだけを減らすことではありません。

中心となるのは、企業活動によって人の権利が損なわれることを防ぎ、すでに負の影響が生じている場合には、その影響を軽減・是正することです。

対象となる人権課題には、例えば次のようなものがあります。

  • 強制労働
  • 児童労働
  • 賃金未払い
  • 長時間労働
  • 労働安全衛生
  • 差別
  • ハラスメント
  • 結社の自由
  • 外国人・移住労働者の権利
  • 障害のある人への合理的配慮
  • 個人情報・プライバシー
  • 消費者の安全
  • 地域住民への影響
  • 先住民族の権利
  • AIやデータ利用による差別

などです。

企業が確認すべき範囲も、自社の正社員だけではありません。

原材料調達、製造、委託、下請、物流、販売などのサプライチェーンやバリューチェーンを通じ、自社の事業、製品、サービスと関係する人権への影響を考える必要があります。

OECDも、企業自身の事業だけでなく、サプライチェーンやその他の事業関係における実際または潜在的な負の影響を把握し、対応するリスクベースのデュー・ディリジェンスを示しています。

一度調査すれば終わりではない

人権デュー・ディリジェンスで重要なのは、継続的な取組であることです。

例えば、

人権への負の影響を特定・評価する

防止・軽減する

実施結果を追跡する

どのように対処したか説明・開示する

再びリスクを確認する

という循環を続けます。

新規取引先との契約、原材料調達地域の変更、海外進出、新商品の発売、M&A、新しいAIシステムの導入などによって、人権リスクは変化します。

ILOも、人権デュー・ディリジェンスを、企業が実際または潜在的な人権への負の影響を特定し、防止・軽減し、どのように対処しているか説明するためのプロセスと位置付けています。

「人権監査」と同じではない

取引先へのアンケートや工場監査は、人権デュー・ディリジェンスを行うための一つの手段です。

しかし、

「取引先が問題なしと回答した」「監査項目をすべてクリアした」

というだけで、人権デュー・ディリジェンスが完了するわけではありません。

書類上は問題がなくても、現場では長時間労働、ハラスメント、差別、賃金問題などが発生している可能性があります。

そのため、実際に影響を受ける労働者、地域住民などのライツホルダーの声をどのように把握するかが重要になります。


2.制度・法律との関係

国連「ビジネスと人権に関する指導原則」

現在の人権デュー・ディリジェンスの国際的な基礎となっているのが、2011年に国連人権理事会で支持された「ビジネスと人権に関する指導原則」です。

指導原則は、

第1の柱 人権を保護する国家の義務
第2の柱 人権を尊重する企業の責任
第3の柱 救済へのアクセス

という3本柱で構成されています。

企業には、人権尊重責任を果たすため、

人権方針
人権デュー・ディリジェンス
救済につなげるためのプロセス

を整えることが求められています。

日本政府の人権尊重ガイドライン

日本政府は2022年9月、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を策定しました。

日本で事業活動を行う企業が、国連指導原則などの国際基準を踏まえて人権尊重に取り組むための基本的な考え方を整理したものです。経済産業省は現在も「ビジネスと人権」のポータルサイトで、ガイドラインや実務参照資料などを公開しています。

企業による人権尊重の取組は、大きく、

① 人権方針の策定
② 人権デュー・ディリジェンスの実施
③ 救済

として整理できます。

人権方針を掲げるだけではなく、実際に人権リスクを調査し、防止・軽減し、その結果を確認し、被害が発生した場合には救済につなげるところまでが一連の取組となります。

「ビジネスと人権」行動計画も改定

日本政府は2025年12月24日、「ビジネスと人権」に関する行動計画を改定しました。

改定版では8つの優先分野を設定するとともに、企業に対し、人権への負の影響の特定、評価、予防、軽減、対処などからなる人権デュー・ディリジェンスの導入を促進することへの期待が改めて示されました。

人権デュー・ディリジェンスは、一部の大企業だけが取り組むCSR活動という位置付けから、調達、労務、販売、投資、情報開示などを含む企業経営上の課題へと広がっています。

国際的には法制化も進む

国際的には、企業に人権や環境に関するデュー・ディリジェンスを求める法制度の整備も進んでいます。

一方、OECDの責任ある企業行動に関するガイダンスは、企業がすべての問題を一度に解決することを求めるのではなく、人権や環境などへの最も重大な負の影響を優先しながら、関係者と協力して改善していくリスクベースの考え方を示しています。

2026年6月にはOECDが「Responsible Business Outlook 2026」を公表しており、責任ある企業行動やデュー・ディリジェンスをめぐる政策・企業実務の進展について継続的な検証が行われています。


3.人権上の論点

企業のリスクではなく「人へのリスク」

人権デュー・ディリジェンスを理解する上で重要なのが、企業にとってのリスクと、人にとってのリスクを区別することです。

例えば、取引先で強制労働が発覚した場合、

「報道されればブランドイメージが悪化する」「取引先や投資家から批判される」

という企業側のリスクがあります。

しかし、人権デュー・ディリジェンスで最初に考えるべきなのは、

「そこで働く人の自由や安全が奪われていないか」

という問題です。

企業にとっての損失が小さくても、ライツホルダーに深刻な被害が生じていれば、優先的に対応すべき人権リスクとなる可能性があります。

声を上げにくい人をどう把握するか

外国人労働者、技能実習生、非正規労働者、下請企業の従業員、子ども、障害のある人、先住民族、地域住民などは、企業に直接意見を伝えにくい場合があります。

相談窓口が設置されていても、

  • 日本語が分からない
  • 雇用を失うことが怖い
  • 匿名で相談できない
  • 報復を受けるのではないかと心配する
  • 相談窓口そのものを知らない

といった事情があれば、実際には利用できません。

人権デュー・ディリジェンスでは、「制度が存在するか」だけでなく、実際に権利を持つ人が利用できるかという視点が必要です。

取引を打ち切れば解決するとは限らない

サプライチェーン上で人権問題が発見された場合、問題のある取引先との契約を直ちに打ち切ることが、必ずしも最善の対応になるとは限りません。

例えば児童労働が確認された地域から企業が突然撤退すると、子どもや家族が収入を失い、さらに危険な仕事へ移る可能性があります。

企業には、

  • 改善計画を求める
  • 期限を設ける
  • 技術的・人的支援を行う
  • 労働者との対話を求める
  • 発注価格や納期を見直す
  • 是正状況を確認する

など、自社が取引関係を通じて持つ**レバレッジ(影響力)**を使い、人権への負の影響そのものを減らすことが求められる場合があります。

救済まで考える必要がある

人権方針を策定し、人権リスクを調査し、報告書を公開しても、すでに人権侵害を受けた人が救済されなければ、人権尊重の取組は十分とはいえません。

企業が人権への負の影響を引き起こした、または助長した場合には、状況に応じて、

  • 被害を止める
  • 原状回復
  • 謝罪
  • 金銭的補償
  • 再発防止
  • 労働条件の改善

などの救済につなげる必要があります。

企業の相談窓口や苦情処理メカニズムも、単なる企業不祥事の早期発見装置ではなく、権利を侵害された人が声を上げ、問題の是正につながる仕組みとして機能することが重要です。


4.企業は何から始めればよいのか

人権デュー・ディリジェンスは、大企業だけの複雑な仕組みと考える必要はありません。

まずは、

自社の事業によって誰が影響を受けるのか

を整理するところから始めることができます。

例えば、

従業員
長時間労働、ハラスメント、差別、安全衛生など

外国人労働者
言語、賃金、相談、移動の自由など

取引先の労働者
強制労働、児童労働、賃金、安全衛生など

消費者
安全性、広告、個人情報、差別的サービスなど

地域住民
環境、土地利用、騒音、安全など

と整理できます。

その上で、重大性の高い人権リスクから優先的に対応します。

「すべての取引先を完全に監査できないから何もしない」のではなく、どこで深刻な人権への負の影響が起こりやすいのかを見極め、優先順位をつけて継続的に改善することが、人権デュー・ディリジェンスの基本的な考え方です。OECDも6段階のデュー・ディリジェンスの枠組みを示しています。


関連用語

ビジネスと人権に関する指導原則

国家の人権保護義務、企業の人権尊重責任、救済へのアクセスという3本柱を示した国連の国際的な枠組みです。
URL:https://jinken-news.com/glossary/business-human-rights-guiding-principles/

人権方針

企業が人権尊重への基本姿勢や対象とする人権課題、従業員・取引先などに求める行動を示す基本文書です。
URL:https://jinken-news.com/glossary/jinken-hoshin/

負の影響

企業活動によって人の権利が損なわれること、またはその可能性が生じることを意味します。
URL:https://jinken-news.com/glossary/adverse-human-rights-impact/

ライツホルダー

企業活動によって実際に、または潜在的に人権への影響を受ける「権利を持つ当事者」を指します。
URL:https://jinken-news.com/glossary/rights-holder/

レバレッジ

取引先などに人権問題がある場合に、企業が取引関係などを通じて持つ影響力を使い、改善を促す考え方です。
URL:https://jinken-news.com/glossary/leverage/

責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン

日本政府が2022年に策定した、企業による人権尊重の取組の基本的な考え方を示すガイドラインです。
URL:https://jinken-news.com/glossary/responsible-supply-chain-guidelines/


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主な出典

国連人権高等弁務官事務所

「Guiding Principles on Business and Human Rights」
人権デュー・ディリジェンスの国際的な基礎となる国連「ビジネスと人権に関する指導原則」です。
URL:OHCHR「Guiding Principles on Business and Human Rights」

経済産業省

「ビジネスと人権~責任あるバリューチェーンに向けて~」
日本政府の人権尊重ガイドライン、実務参照資料、国際的な動向などを掲載しています。
URL:経済産業省「ビジネスと人権」

外務省

「『ビジネスと人権』に関する行動計画の改定」
2025年12月24日に改定された日本政府の行動計画について、8つの優先分野や人権デュー・ディリジェンス導入促進への期待を説明しています。
URL:外務省「『ビジネスと人権』に関する行動計画の改定」

ILO

「Business and the labour dimension of human rights due diligence」
労働者の権利を人権デュー・ディリジェンスにどのように組み込むかを整理したILOの資料です。
URL:ILO「Human rights due diligence」

OECD

「OECD Due Diligence Guidance for Responsible Business Conduct」
責任ある企業行動のためのリスクベース・デュー・ディリジェンスについて、国際的な実務枠組みを示しています。
URL:OECD Due Diligence Guidance for Responsible Business Conduct

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